今回は古道の傍らにあった石碑、石塔のお話です。
路の傍らに建つ石塔や石仏は祈りの姿であり、また講という村人の交流の場の記念碑でもありました。講とは、働くだけで楽しみの少ない時代、村の人たちが特定の日に決められた宿の家に集まり神仏を祀り、精進供養するものです。村人が夜通し飲食し楽しむ、相互扶助の役目もありその形が講中という組織で、造立したのが石塔や石仏供養塔です。この民間信仰は江戸時代に流行り、今も続けている地域もあります。
土合地区社協のある事務所から北の地域では13か所(西堀4、南元塾、中島2、栄和3、道場1、町や)確認できました。祀られているのは「庚申(コウシン)、巳待(ミマチ)、子待(ネマチ)。、二十三夜、馬頭観音」等ですが、耕地整理等で1か所にまとめられたり移動されたり、元あった場所はわからなくなっています。それぞれには講があり女人講も多くありました。
土合地区社協のある事務所から北の地域では13か所(西堀4、南元塾、中島2、栄和3、道場1、町や)確認できました。
祀られているのは「庚申(コウシン)、巳待(ミマチ)、子待(ネマチ)。、二十三夜、馬頭観音」等ですが、耕地整理等で1か所にまとめられたり移動されたり、元あった場所はわからなくなっています。それぞれには講があり女人講も多くありました。
前回、土合には「庚申(コウシン)、巳待(ミマチ)、子待(ネマチ)二十三夜、馬頭観音」等の石碑が多くあるお話をしました。
庚申は庚申(かのえさる)の日、悪いことが起きないように当番の家で夜通し起きて飲食し、庚申の本尊青面金剛を祀ったのが庚申塔といわれます。
巳待は、己巳(つちのとみ)の日、弁財天のご縁日で講中は遅くまで起きて本尊弁財天を精進供養する行事で、その石塔を巳待塔といいます。甲子塔は、甲子(きのえね)の夜、福の神大黒天を祀って講中が甲子待の供養行事を行う、この講の供養塔です。二十三夜も悪霊を追い払うという月待行事として、当番になった家へ集まり飲食をしながら月の出を待つ民間信仰といわれ、村のつながりの場です。
また馬頭観音は農馬の供養碑で家先に祀られるといいます。
村社会の衰退とともに行事は廃れてしまいましたが、そのなごりが石塔として残されています。
つづきは、「土合の庚申塔探訪記」に詳しく掲載しました。どうぞご覧ください。
土合地区社会福祉協議会
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